発車

こんにちは。前回の続きです。


13時29分、札幌行特急「おおそら8号」は霧の釧路駅を発車した。


しばらくは工場の建物や湿原が混在したような無秩序なところを走る。


そして大楽毛という駅を通過する。


べつに楽しそうなところではないが、語源は「オタ・ノシケ」で(浜の真ん中)という意味です。


昨日通った同じ根室本線の釧路と根室の問にある浜中は、このアイヌ語を和訳した地名です。


大楽毛を過ぎると建物は少なくなり、左側には国道と海、右側には湿原だけが続く。


線路脇には、エゾカンゾウやヒオウギアヤメ、センダイハギ、ハマナス、ハマボウフウなどの色とりどりの花が咲いていた。


駅弁と缶紅茶

北海道へ旅行したときのことです。


わたしは改札を出ずに、駅弁と缶紅茶を買って乗り込んだ。


1両増結された7両編成でした。


道内では長い編成です。


改札が始まって乗ってきた客の乗車率は60パーセントくらいだった。


発車しないうちに駅弁を開く。


「ぬさまい弁当」です。


釧路の市街にあって、欄干に乙女のブロンズ像が立っている幣舞橋からとった名前であろうが、中身はごく普通の幕の内です。


わたしは最初から幕の内が食べたかったのです。


べつに負け惜しみではない。

なんてこたぁない。ただの昔の・・・その10

思えば昭和の30年代、40年代、高度成長の荒波のなかで、男たちはひたすら一生懸命に働いていました。

きびしいーっ!時代だったのです。

けれどもよく考えてみると、しょせん世のなか「てなもんや、てなもんや」ではないでしょうか。

それに気づくと、ひじょーに、さびしいー!ではないか。

68年1月、「てなもんや」はほんとうに惜しまれながら終了しましました。

そして藤田まことはもう、てなもんやと歌わず、シリアスな本格派になっていきました。

これもさびしいー!って当時見てた人は思うのかもね。

|Д´)ノ 》 ジャ、マタ

なんてこたぁない。ただの昔の・・・その9

忘れてならないのは、財津一郎の存在です。

財津は帝劇ミュージカルアカデミーの研究生から喜劇に転じたという経歴の持ち主で、この番組でテレビにデビューしました。

いきなり「きびしいー!」だの「ひじょーに、さびしいー!」などと奇声を発して、お茶の間のドギモをぬきました。

さらに長い舌を出しては、刀をペロペロなめる、腕を後ろから回して反対側の耳をかく。

奇優というべきでした。

この蛇口一角、きっと大人たちに人気があったのではないでしょうか。

いまやおじさんとなったぼくも、まだ小学生か中学生だったが、このノーテンキな番組にただならぬものを感じていました。

それは蛇口一角が発散する、なんとはなしの男の哀しさのようなものではなかったのでしょうか。

なんてこたぁない。ただの昔の・・・その8

「てなもんや」第255話「上野の戦争」は67年3月19日の放映でした。

このころは裏番組も「てなもんや」に敗退し、芦屋雁之助や茶川一郎らが出演するようになっていました。

幕府のため、大砲を江戸に届けた時次郎と珍念は、彰義隊と官軍の戦闘に巻き込まれる。

隊長の天野役に雁之助、隊士には関敬六や雁之助の末弟、雁平が、ほかに野川由美子、里見浩太朗などが出ています。

この一編がすごいのは、狭い、しかもお客がいる公開スタジオで、淀みなくストーリーが展開し、あげくは戦争までやってしまったところだ。

いまでいえばアルタのスタジオで大砲をぶっぱなし、爆弾が破裂するのです。

とうとうしまいには、スタジオに立ちこめた煙で、画面はなにも見えなくなってしまったとか。

その間にも「あら、ウチ痛いのいややわ」と雁之助がギャグを飛ばし、藤田と白木のコンビが漫才のようにコントを演じます。

いやもう、スペクタクルとギャグの洪水に、見る側は圧倒されるばかりでした。

なんてこたぁない。ただの昔の・・・その7

すごいんです。

66年2月20日、「てなもんや」は史上空前の64.8%という視聴率を上げました。

民放の連続喜劇としては、もはや考えられない数字です。

しかも常時40%を確保したというから、すごいというより、バケモノというべきでしょう。

その魅力はどこにあったのでしょうか。

まず全編がギャグとコントの連続です。

チビだのウマヅラだのアブナイことばを連発し、平参平の得意技など、いきなり転んで片足を曲げたまま歩いて行き、はったと立ち止まってピザを叩くと、また足がピンとするなんて、いまではとても放送できない代物でした。

とはいえそれは、大阪のお笑いの原形だったというべきでしょう。

アクが強くテンポがいいのです。

それをゲストがからんだ芝居と、狭いスタジオをいっぱいに使ったスペクタクルで包み、明るくて爽やかな喜劇に仕立てあげた腕前は並みではありません。

船舶輸送の種類

船舶を運営して運航するものを、通常、オペレーターといい、オペレーターは他の船主から借りた船や、自分で持っている船を運営して物流 サービスを行います。


船舶の運航業務は荷動きや貿易、景気の動向、その他船腹の増減などに影響されることが大きいのですぐれた専門の技術が必要です。


そのため船を一隻か二隻しかもっていない小さいオーナーは、自分で船を運航するよりもオペレーターに貸した方が安全であり、またオペレーターとしても船を借りた方が便利であるため、船舶輸送ではオーナーとオペレーターが別々に分かれている場合が多く見受けられます。

なんてこたぁない。ただの昔の・・・その4

「てなもんや」は漫才作家として知られる香川登志緒の原作、制作は大阪の朝日放送でした。

プロデューサーは、この番組で一躍全国に名をとどろかせた澤田隆治だった。

澤田の制作した番組には「花王名人劇場」「ズームイン!朝」「新婚さん、いらっしゃい」など、いまも辣腕ぶりを発揮しています。

その澤田が起用したのは、芝居も歌もできる芸達者とはいえ、まだ全国的には無名に等しい藤田まことと、白木みのる。

ふたりはともに、同じ朝日放送制作、プロデューサーも澤田であった「スチャラカ社員」のレギュラーでした。

「てなもんや」の前年、61年に始まった「スチャラカ」は、日曜のお昼、12時15分からの30分公開バラエティです。

ここで「ハセくーん」とやにさがって藤純子(現・富司純子)のOLを追いかけていた藤田と、"子役"として出演していた白木を認めて、澤田は新番組に起用したのだそうです。

なんてこたぁない。ただの昔の・・・その6

「てなもんや」、中盤からは、美空ひばりの次弟・香山武彦が、大食いで泣き虫の相撲取り・駒下駄茂兵衛に、そして忘れられない奇っ怪浪人、財津一郎の蛇口一角が登場します。

こうして見てくると、レギュラーに一流の俳優、一流の芸人はいませんでした。

上方のお笑い番組としては、当時、人気絶頂だった大村毘、佐々十郎、茶川一郎、芦屋雁之助らの名がないのです。

これは実は、関西テレビーフジテレビ系の裏番組に、彼ら大阪の一流芸人たちが大挙して出演していたためです。

このハンディを、澤田は新進の芸人、俳優をレギュラーにすえ、ゲストとして東京から一流どころを呼ぶことで解消しようとしました。

これはまんまと成功したのです。

この作戦は、藤田や白木、財津らを成長させたばかりでなく、東京の役者や芸人たちが、大阪の舞台、テレビに出演することのきっかけともなりました。

なんてこたぁない。ただの昔の・・・その3

「てなもんや三度笠」に出てきた子供?

第3回放送から登場した珍念は、いろいろな意味で時次郎と対照的なキャラクターとなっています。

まず珍念は子どもですが、坊主だからインテリです。

父のいない時次郎に対して、珍念には母がないと言う設定。

女に興味はないけれど、食い物というととにかく意地汚い。

これを演じたのが、年齢不詳の白木みのるでした。

おそらく33(昭和8)年生まれの藤田まことと、同じ程度の歳だったのでしょう。

馬面でノッポの時次郎、小さな珍念が登場しただけで、スタジオのお客は喜びました。

管理人のお気に入り

葉山 不動産

湘南エリアで住まいをお探しなら湘南住宅ナビへ!湘南・藤沢・鎌倉・逗子・葉山・茅ヶ崎等の海の見える物件を多数ご紹介致します!

宿泊予約

温泉旅館とリゾートホテルの宿泊予約は『やど予約ネット』へ。無料電話 0120-987489 でお受けしております。旅行傷害保険無料加入特典あり。会員登録で5%のキャッシュバック。

脱毛 福岡
福岡で脱毛をお考えなら赤坂クリニック。専門フロアがあるのは福岡でここだけです。3機種の医療レーザー脱毛で一掃!期間のかかる薄い毛まで確実に針で仕上げる自信があります。全身脱毛もお任せ下さい。

医院 開業

医師の求人・転職がご希望なら、業界トップクラスのリクルートドクターズキャリアへ。医師専門で転職支援歴30年。常時10,000件以上の医師募集求人をご用意、専任のキャリアアドバイザーがあなたに合った厳選求人をご紹介し、転職を徹底サポートします。